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未成のまま終着駅になった、伊勢奥津駅vol.3 続き


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左 はせ新街道

伊勢奥津駅(いせおきつえき)から南へ約100m歩くとこちらの標石が登場します。

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伊勢本(?)宮及び津市へハ便利道ナリ

奥津はかつての伊勢本街道の宿場町。

大坂(大阪)・玉造を出発した道は 暗峠(くらがりとうげ)で生駒山地を越えて大和國(現・奈良県)に入り春日大社へ。
そこから進路を南に変え桜井の大神神社(おおみわじんじゃ)を通り、今度は東に進路を変え長谷寺へ。
現在の国道165号や近鉄大阪線はやや北上して名張経由で伊勢を目指すが、かつての伊勢本街道は 途中の榛原(はいばら)でそのまま東進。途中で伊勢國(現三重県)に入り、ほぼ直線ルートで伊勢を目指す。

その三重県に入ってすぐの場所が奥津宿(おきつじゅく)です。

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明治二十六年ノ改修
平坦ナル車道ナリ


同年7月、御木本幸吉が真珠の養殖に成功。三重県にとって革新的な出来事がありました。


伊勢本街道を地図でたどっていると、最短距離(直線ルート)を意識して 伊勢を目指していることがわかります。

これは熊野古道等にも言えることで、昔の街道は行く手に山があろうと それを最短距離で通過していました。


すなわち峠越え。
当時は そのようにルート取りを行うことが、最速手段だったのでしょう。
おかげで平地では舗装化等で失われた古道が 山の中には残ることとなり、現代人が古道歩きを楽しむことができています。


< 関連記事 >
2018,3/9 住民の熱意が鉄道を動かす。名松線
2018,3/10 未成のまま終着駅になった、伊勢奥津駅vol.1
2018,3/11 未成のまま終着駅になった、伊勢奥津駅vol.2
2018,3/12 未成のまま終着駅になった、伊勢奥津駅vol.3



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畿内と熊野を結ぶ 交通の要衝・大和五條。

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五條新町(奈良県五條市)
関ケ原の合戦での功によって この地を治めることになった 「松倉重政」 によって、江戸時代初期に新しい街が造られた。

国道24号の一本南側の通りが それに当たる。

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本陣交差点に残されている標石の通り 五條は、

東… 奈良、伊勢
西… 高野、和歌山、四国
南… 熊野
北… 大坂


これら全てに通ずる交通の要衝。物流振興の観点から租税の免除が図られた。


すなわち、

五條は税金いらないから ここを通ってね~

その思惑通り、江戸時代に五條は大きく発展した。

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吉野川を渡ると その道は西熊野街道へと続く。

現在は本陣交差点から南へ進む国道168号の橋で吉野川を渡るが、かつては新町の辺りから渡し舟が出ていた。

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吉野川の堤防の上に立つと 大峯へと続く 紀伊半島の山並みを望むことができる。

川の対岸に 五新線の橋脚跡が見えています。

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新町の方へ目をやると 五條駅から伸びてきた五新線のコンクリートアーチが、吉野川手前で切れていることがわかります。


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この地で租税免除を図るなど 善政を行った松倉重政公は 「豊後様」 と呼ばれ、高い評価を受けている。


しかしながら この実績を買われ転封(てんぽう)した肥前島原では、島原城の築城費用捻出やルソン(フィリピン)攻略の戦費捻出のため 重税を課し、民衆を苦しめた。

また島原はキリシタン大名である有馬家の旧領であったことから キリシタンが多い土地。宣教師や南蛮商人を通じての南蛮貿易に利があることから 当初はそれを黙認していたが、そのことを三代将軍・家光から指摘されたため、苛烈なキリシタン弾圧政策に転じた。

これらの圧政は 後年、息子の勝家の時代に "島原の乱" の大きな要因となり、乱を鎮圧後 その責任を追及される形で勝家は斬首刑に処された。江戸時代に大名が名誉の刑である切腹さえ許されなかったのは、この一件だけである。


このように、五條と島原では 松倉公の評価が大きく異なる。




松倉豊後守重政之碑



< 関連記事 >
2017,12/20 四國の表記が見られる、大和五條の標石
2018,1/12 紀伊半島縦貫を目指した夢の跡



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路傍に立つ 大きな標石。
寺社を中心に、当時の重要地点が記されています。


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この石でメインとなる情報は、

いせ
かうや(高野)


という、隣県(隣國)の二大霊場

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その下に当地の有名寺社や、大まかな行先が記されている。


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はせなら(初瀬、奈良)
大峯山上
よしの(吉野)


初瀬…
花の御寺・長谷寺(はなのみてら はせでら)がある場所で、伊勢街道の途中。

< 初瀬・長谷寺 関連記事 >
2017,1/27 巡礼の元祖、西国三十三所の元となった場所


大峯…
山上ヶ岳を中心とする修験道の聖地。

吉野…
南北朝時代に南朝が置かれた場所で、桜が有名。伊勢南街道(高見越え)の途中でもある。

< 大峯・吉野 関連記事 >
2015,7/25 神々のお山へ。大峯奥駈道 プロローグ



伊勢に向かう中で ↑これらのものがありますよ、というお知らせです。

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わか山
四國
くまの


こちらの大枠・かうや(高野)は、実はすぐそこ。

それよりも、和歌山を通じて四国渡れますよ。熊野行けますよ。のお知らせ。


四国遍路の元祖は 高野聖(こうやひじり)や大峯の修験道者と言われている。彼らは紀伊山地の山野を駆け回っていたが そこが俗化されてきたため、新たな修行地を目指して渡った土地が 当時はまだ未開だった四国大陸。


そこで、

(あまねく) = 全て
(みち)

を歩いて回ったことが 四国遍路の原型となった。
この場所を通過して 和歌山から四国へ渡り、四国遍路となった者が 大勢居たことでしょう。


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本陣交差点(ほんじんこうさてん / 奈良県五條市)
この標石が残されている五條市は、和歌山県・大阪府と接する 奈良県南部の街。古くから交通の要衝として栄え、まさに各街道へと分かれていく分岐点に、こちらの標石が立つ。
※ 標石の場所は区画整理のため別の場所から移されたものと思われます



五條には 個人的に学生時代によく遊びに来ました。
当時は奈良に住んでいたので ここまでそれほど遠くない。部活の先輩が住んでて、よく遊んでもらいました。


もちろんその時には、この標石の存在など 知る由もありません。
今でこそ徒歩や巡礼として紀伊半島を駆け回っていますが、当時はほぼバイクツーリングでした。




五條本陣交差点の標石


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JR東海道本線 武庫川橋梁(兵庫県尼崎市 / 西宮市)


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日本で二番目に開業したこの区間(大阪~神戸間)

今日は 山陰地区を結ぶ特急に、関西JRの雄・新快速、快速、普通、貨物列車と、分刻みで様々な列車が行き交います。


どの列車に乗っていても一瞬で通り過ぎるこちらの橋梁区間ですが、徒歩で間近に近寄って見ると 鉄道黎明期の遺構を随所に見ることができます。


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橋の下(尼崎側)にやってきました。


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南北両方の橋脚を眺めてみる。

各二線のプレートガーダー(橋桁)を それぞれ橋台・橋脚が支える構造ですが、明らかに資材が異なります。


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下り二線(神戸方面)はコンクリート橋脚

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上り二線(大阪方面)は 橋脚こそコンクリート製ですが、橋台はイギリス積み煉瓦


なぜ構造が異なるのでしょうか。


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明治7年(1874)
東海道本線大阪~神戸間の開通と共に供用が始まった武庫川橋梁。日本初の鉄道用鉄橋として ロンドン新聞に絵入り記事で紹介されました。

明治29年(1896)
複線化。レンガ橋台の北側二線が築かれ、そちらに移行。

大正15年(1926)
複々線化。コンクリート橋台の南側二線が築かれ、上り(北側二線)・下り(南側二線)に分けられた。


このように 各時代の最新資材を用いて橋の改修が行われたことにより、開業当初の鉄橋こそ存在しないものの 明治後期~大正~昭和~平成と、各時代の鋼材等が存在する橋梁となっている。


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史実から考察すると、最も新しいこちらのコンクリート橋脚でも 90年前の構造物。日本有数の高速・高頻度運転区間を支え、各時代の要人を輸送した実績が語られることはありませんが、隠れた実力者がここに居ます。


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武庫川橋梁から南側 下流方面に目をやると、国道2号の武庫大橋が見える。この辺りは隠れた存在も含め 近代名建築の密集地帯と言える。


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百年以上前から存在し、これからも無くてはならない存在・武庫川橋梁。

この橋を建設した先人たち、支え続ける技術者さんたちの 高度な技術とたゆまぬ努力は特筆ものです。



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武庫大橋(兵庫県尼崎市・西宮市)
尼崎市と西宮市の市境となる 武庫川(むこがわ)に架かる、国道2号の橋。


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昭和元年(1926)完成、翌昭和2年(1927) 道路供用開始。

かつては中央部に路面電車の阪神電車国道線と併用だったが、昭和50年(1975)に廃止。現在は道路と歩道のみとなっている。


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土木学会選奨土木遺産であり、日本百名橋の一つ。

橋の設計は 増田淳氏。戦前、全国各地に架けられた数々の橋梁を設計した 橋梁技術者。香川県高松市出身。


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尼崎側に立つ親柱

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橋の名を示す 扁額

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橋を西に進んで行くと西宮市に入る。奥の山並みは六甲山系。

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橋の両側に二箇所ずつ、計四箇所 バルコニーが設置されています。
現代では歩行者より自動車の方が多く 無用の長物のように感じられますが、かつてはその逆。徒歩が主な移動手段であった竣工当時は、ここで立ち止り 清冽であっただろう武庫川の流れを眺めたことでしょう。


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竣工から90年を経ても 現役バリバリの武庫大橋。阪神間移動を支え続けています。



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