FC2ブログ


soraumi5175.jpg

県境が好き。

人為的に引かれた線なので 目に見えるものは無い?


いやいやいや。

そんなことありません。

県境を越えただけで 人々の話し言葉が微妙に変わり、スーパーマーケット等 商店で販売されている物が変わる。味噌や醤油など 醸造系は顕著です。一番分かり易いものは 自動車の登録ナンバーと、選挙候補者のポスター。

皆さんも旅に行かれた際は 県境越えをお楽しみ下さい。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


soraumi5176.jpg

三県境(さんけんきょう / 三重、奈良、和歌山)
県境は旧来の律令制における國境(くにざかい)をそのままあてはめた例が多い。四国四県は明治以降 紆余曲折あったものの、結局 旧國境に落ち着いている。


こちら三県の県境は 明治になり区分けされたもの。


soraumi5177.jpg

この辺り一帯の渓谷は 瀞峡(どろきょう)と呼ばれる景勝地ですが、川の上で三つの県に分けられています。


soraumi5178.jpg

実際の景色に当てはめると こんな感じでしょうか。


soraumi5179.jpg

明治新政府からすれば 飛び地や県境をできるだけなくすことが目的の一つだったので、ここでは和歌山県が存在していることが特殊例。その 和歌山県が存在する例外は、地域の産業である林業と筏流し、その搬出先である新宮市との結びつきに起因したもの。


県境探訪は目に見える楽しさではないのですが、今その場所に自分が立っている…

後で地図を眺めて 「この場所に立っていたんだ!」 と復習すれば、なおよし。


お金を使わない楽しみ方としても、県境探訪 お勧めです。




三県境 場所ここ


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


さぬき高松ゲストハウス そらうみ
 761-8084 香川県高松市一宮町393-8
TEL or FAX(共通) : 0878998756
mail : info@sanuki-soraumi.jp
HP : http://www.sanuki-soraumi.jp
紹介PV : https://www.youtube.com/watch?v=a9uQoZ9aqPo
blog : http://sanukisoraumi.blog.fc2.com/
facebook : https://www.facebook.com/takamatsu.soraumi
Twitter : https://twitter.com/379soraumi

遍路関連の記事 : http://pilgrim-shikoku.net/author/syozan-nose
スポンサーサイト




soraumi5166.jpg

汐見橋駅(しおみばしえき / 大阪市浪速区)

大阪ミナミの中心地・難波から約1km離れた場所。ここが大都会ど真ん中とは思えない、ローカル駅が存在します。


soraumi5167.jpg

モルタル造りの簡素な駅舎。始発・終着駅のため 階段は無くバリアフリー。現駅舎は昭和31年(1956)の竣工。


soraumi5169.jpg

列車の本数は、忠実に1時間2往復。


現在は、

汐見橋~岸里玉出

を結ぶ区間運転列車のみが運転される。


soraumi5168.jpg

他南海線との位置関係はこちら


現在の南海線は 難波から出て

★関西空港・和歌山行きの南海本線
★高野山行きの高野線


これら二本立て。


しかしながら、元々 高野線の始発は汐見橋駅であり、別の会社。
大正11年(1922)に南海電車と合併の後、難波駅乗り入れが開始されたのが大正14年(1925)。それによって高野線の起点駅も難波に移っていく。

それでも 汐見橋駅発高野線乗り入れの列車の設定も存在したが、昭和60年(1985)に分岐駅となる岸ノ里駅(現 岸里玉出駅)の立体工事によって 線路が分断。汐見橋~岸里玉出は孤立した路線となった。


現在でも 高野線の登記上の起点は汐見橋駅だが、全ての高野線列車が発着する 事実上の起点は難波駅。汐見橋から岸里玉出の間は 汐見橋線と呼ばれる。


soraumi5170.jpg

昔? 大昔??
は機能していたのでしょうか。発券窓口。現在は自動券売機が一基のみ。


soraumi5171.jpg

温度計、木の枠の扉
現在の駅舎が開業した昭和30年代から時間が止まっています。


soraumi5172.jpg

駅のプラットホーム
二線あり、岸里玉出まで完全複線。乗客数だけで言えば 単線でも十分な容量。仮に戦時中なら 金属供出に遭って 一線剥がされてしまいそうな状況です。


soraumi5173.jpg

プラットホームの土台、石積みも 南海の古い歴史を感じさせる証人。


soraumi5174.jpg

現在は阪神なんば線の桜川駅が開業。乗換駅となったため、乗客は微増している模様。



乗客が少ない汐見橋線が廃止にならず 生き永らえているのは、新大阪(現在の計画では北梅田)から難波を経て 関西空港を結ぶ、なにわ筋線の計画があったため。

汐見橋線が なにわ筋線のルートに組み込まれると、キタとミナミ 関西空港を結ぶ路線の一部になることとなり、この路線が劇的に変貌する…


しかしながら、このほど発表されたなにわ筋線の整備計画は 難波駅経由が有力視されています。そうなると汐見橋線は取り残されたまま。この駅を含む汐見橋線全体の存廃問題が浮上することに…


ローカル線、ローカル駅
哀愁や旅情を感じることができる貴重な存在ですが、利用者が少なく 常に存廃が危ぶまれている存在でもある。大都会ど真ん中のローカル駅、貴重な存在です。




汐見橋駅 場所ここ


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


さぬき高松ゲストハウス そらうみ
 761-8084 香川県高松市一宮町393-8
TEL or FAX(共通) : 0878998756
mail : info@sanuki-soraumi.jp
HP : http://www.sanuki-soraumi.jp
紹介PV : https://www.youtube.com/watch?v=a9uQoZ9aqPo
blog : http://sanukisoraumi.blog.fc2.com/
facebook : https://www.facebook.com/takamatsu.soraumi
Twitter : https://twitter.com/379soraumi

遍路関連の記事 : http://pilgrim-shikoku.net/author/syozan-nose

< 関連記事 >
2017,4/17阪急京都本線の一部区間は、明治鉄道創成期由来のもの
2017,4/19JR・阪急の橋脚に残る機銃掃射痕
2017,4/25鉄道黎明期の遺構、煉瓦アーチ
2017,4/26神崎川に架かる鉄橋の橋台は、日本鉄道史最古級の遺構
2017,4/27千里線と別れて旧東海道線の痕跡探し




さきほどの水路跡はどこへ続いているのでしょう。行く先が気になったのでそちらを辿ることにしました。


soraumi5158.jpg

マンホールが等間隔で存在するので、追跡は簡単。西に進むと現JR東海道本線が見えました。


soraumi5159.jpg

高さ2m程度の低いアンダーガード。幅は2間(4m弱)ほどでしょうか。水路とするなら広い。


soraumi5160.jpg

入って来た南側は コンクリート橋台に橋桁。古さはあまり感じません。


が、先に進むにつれ

soraumi5161.jpg

レンガの橋台出現!
ここはかつて 東洋一と謳われた "吹田操車場" の一部。広大な敷地に何本もの線が走り、日本の交通・流通を支えた。施設の閉鎖に伴い 現在この部分の上部を覆う線路やガードが取り払われている。


soraumi5162.jpg

レンガ橋台はイギリス積み。
東海道本線この区間の開業は 大正2年(1913)。レンガ建造物全盛期ですね。


塗料なのか 上部のコンクリの成分が流れ出ているのか… この状態が残念。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


ここから引き返して、煉瓦橋台に線路が掛けられている部分を入念に探索してみたいと思います。


soraumi5163.jpg

吹田町用水路橋りょう

ここが元々水路だったことの裏付けを得ました。

自治体 "三島郡吹田町" の呼称は明治41年(1908)の町制施行から 昭和15年(1940)の市制施行までの32年間。この区間の開通が大正2年(1913)なので、吹田が町だった時代に建設されたことがわかります。



今日 大勢の市民たちが行き交うアンダーガードですが、そんな中で立ち止って 上部をジロジロ…

趣味、人それぞれです。


そんな入念なチェックあって こんなもの発見しました。

soraumi5164.jpg

CARGO FLEET ENGLAND の刻印を発見!

カードフリート社はイギリスにあった製鉄会社。本国での国営化や合併により 社名としては現存しない。

戦前の日本には レールを生産する設備が整っていなかったことから、その多くは輸入に頼っていた。主な輸入元はイギリスやドイツ、アメリカなど。
明治12年(1879)に誕生したカーゴフリート社は、昭和3年(1928)に他社との合併により 段階的にそのブランド名が失われていったので この間に生産されたレールが海を越えて遠い日本の地に渡り、今もそのブランド名を誇示し続けている…


いや、これじゃ100人居て100人気付かないものでしょうけど。


soraumi5165.jpg

こちらの刻印はまだ少し分かり易い。
自国製だろうが舶来品だろうが、敷設から100年を超えても 変わらず自身の任務をしっかり果たしている点は物凄いことです。



レールの稀少性はともかく、水路跡は鉄道をくぐるガードとなって 市民の往来に寄与しているようです。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


さぬき高松ゲストハウス そらうみ
 761-8084 香川県高松市一宮町393-8
TEL or FAX(共通) : 0878998756
mail : info@sanuki-soraumi.jp
HP : http://www.sanuki-soraumi.jp
紹介PV : https://www.youtube.com/watch?v=a9uQoZ9aqPo
blog : http://sanukisoraumi.blog.fc2.com/
facebook : https://www.facebook.com/takamatsu.soraumi
Twitter : https://twitter.com/379soraumi

遍路関連の記事 : http://pilgrim-shikoku.net/author/syozan-nose

soraumi5150.jpg

明治初期の鉄道遺構・新神崎川橋りょうを渡り、引き続き千里線沿線に 敷設当時の遺構が無いか探索します。


soraumi5151.jpg

横を列車が駆け抜けて行く。阪急のマルーン色の車両と異なる 地下鉄車両。
千里線・京都線は大阪市営地下鉄・堺筋線と相互乗り入れを行っているので、それらに地下鉄車両が通ることがあれば 地下鉄に阪急電車が走ります。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


少し歩いたところで怪しい区画を発見

soraumi5152.jpg

ずっと奥まで続いているようです。


soraumi5153.jpg

使われていない空き地のようですが、手入れが行き届いています。


反対側に回ってみました。

soraumi5154.jpg

空き地はここで途切れており、その先には住宅が立ち並びます。


これ、官営鉄道時代の遺構です。

明治9年(1876)から大正2年(1921)はこの空き地に線路が敷かれ、省線(現JR)の列車が走っていました。


敷設当初の東海道本線は、この空き地を経由しながら緩やかにカーブ、現JR吹田駅手前で現行ルートに合流するルートをとっていた。

その後 省線は現在の新大阪駅を経由するルートに切り替えたため、路盤はしばらく放置。後年その多くが北大阪電鉄(現阪急千里線)に引き継がれた。


この空き地から南側、下新庄~淡路~崇禅寺の区間は 当初の省線ルート
この空き地から北側、吹田~北千里の区間は 北大阪電鉄自前


現千里線は阪急吹田駅に向かって 径の小さなS字カーブ(急曲線)で北進していきます。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


他に遺構は無い物か、付近を探ってみると…

soraumi5155.jpg

怪しいコンクリート橋台を発見! その手前にレンガ土台の跡も見られます。


この辺りに初代東海道本線が通っていたことは確かなのですが… これは多分違う。明治初期にコンクリート資材は無い。


手前のレンガ土台の跡から想像するに、ここには元々水路があり 煉瓦アーチの暗渠が存在、その上を省線が通過していた。
経路変更により廃線になった後は 暗渠は解体され、その頃には登場していたコンクリートが用いられ、人が渡ることができる橋ができた。その橋台。


soraumi5156.jpg

マンホールがあるのが水路たる証。

その傍にある古そうなレンガ壁があるが、こちらはおそらく家屋を分けるレンガ塀。長手だけを並べて行く 長手積みとなっているが、この積み方は強度が不足するため 花壇など小規模の構造物に向く。建造物にはあまり用いられない。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


さぬき高松ゲストハウス そらうみ
 761-8084 香川県高松市一宮町393-8
TEL or FAX(共通) : 0878998756
mail : info@sanuki-soraumi.jp
HP : http://www.sanuki-soraumi.jp
紹介PV : https://www.youtube.com/watch?v=a9uQoZ9aqPo
blog : http://sanukisoraumi.blog.fc2.com/
facebook : https://www.facebook.com/takamatsu.soraumi
Twitter : https://twitter.com/379soraumi

遍路関連の記事 : http://pilgrim-shikoku.net/author/syozan-nose

soraumi5140.jpg

淀川の支流・神崎川に架かる 阪急千里線新神崎川橋りょう

奥に見える新しい橋は 淡路駅を中心とする阪急京都線・千里線連続立体化工事の産物。現在は新線を上り(淡路・梅田方面)列車のみが走っていますが、工事が完了すると 上り下り両線共 新しい橋を列車が走るようになります。


遡る事 明治9年(1876)に起源を持ち、大正10年(1921)に竣工した手前の橋が役目を終える日はそう遠くありません。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


soraumi5141.jpg

現在の新神崎川橋りょう。よく眺めてみると 橋脚のデザインがバラバラであることがわかります。

二基は石積みの円形。これは相当古そうです。


まずは、左岸(東淀川側)から探索。

soraumi5142.jpg

上部の線路、元々の上り線が撤去されていることが まずわかりますが、それはさておき 一つ目の橋脚がレンガ造り。


soraumi5143.jpg

精巧なイギリス積み。所々の破損は止む無しとして 落書きが残念!


soraumi5144.jpg

根元の橋台もイギリス積みの強固な造り。


が、これらは古いことは古いけれど 明治9年の大阪~向日町間の官営鉄道が開通したタイミングのものでは無いのでは? と考えます。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


soraumi5145.jpg

川の真ん中辺りに位置する 円形の橋脚。
他の橋桁と高さを合わすために更に土台が乗せられていて、それぞれ

左岸側… 鉄板巻き
右岸側… コンクリート造り


ここでは斜めに曲がった架線柱も見所。北大阪鉄道(現阪急)開業の大正10年(1921)のものです。



計4脚 円形橋台が現存している中で、

soraumi5147.jpg

右岸側の2脚は、

下部→イギリス積みレンガ / 上部→石積み二層
上流下流対称的なデザイン


しかしながら、

soraumi5146.jpg

左岸側の2脚は、

下流… 下部→イギリス積みレンガ / 上部→石積み二層 →右岸の2脚と同じ
上流… 下部→イギリス積みレンガ / 上部→石積み五層

非対称的な造りとなっている。


これはどういうことでしょうか。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


古く見えるこちらの橋。

この区間が 省線(現JR)のルート変更を契機に 北大阪鉄道(現阪急)に払い下げられた路線であることは前述の通りですが、橋りょうに関しては 明治9年の東海道線開業時のものではない。
元々架けられていた橋はトラス橋で 大正2年(1913)の経路変更後に鋼材が取り外され、山陽電鉄の舞子跨線橋に転用された(現在は撤去)

当時の橋は 円形の橋脚の高さに架かっていたようです。今よりだいぶ低い位置ですね。


その後 北大阪鉄道(現阪急)が元東海道線のルートを譲り受けて千里線を敷設する際、防災の観点から 橋を当時より高い位置に架ける必要が出てきた。
動力船の時代になり 川には頻繁に船が行き来、大型船の往来を可能とするため浚渫工事が行われ 水深だけでなく川幅が広くなり、安定した水量を保持できるようになった。護岸工事も行われた。


北大阪鉄道(現阪急)によって新しく橋が掛けられることになった時代には レンガ工法が確立されていたので、写真に見られるように いくつかの橋脚はイギリス積みレンガで組まれた。

その中で残存していた2セットの石積み橋脚については まだ使用可能と判断され、元からあった石積み橋脚を笠石にして 下部にレンガを積んで他の橋脚と高さを合わせた。



ここまではおおよそこの通りだと思うのですが、一つだけレンガ・石積みの割合が異なる橋脚があるのは何故でしょう。


これが自分もよくわかっていないのですが、基本的な資材の変遷は


石 → レンガ → コンクリート

なので、煉瓦橋脚は後年の譲渡の際(大正10年)に築かれたものだと思うのです。


流れを受ける上流側を強固にするために 石積みが多く残された?


それにしては右岸の2脚はそんなことないし。


すいません、その辺り史料が乏しく 自身としても勉強不足です。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


soraumi5148.jpg

眺めていると 阪急電車が駆け抜けて行きました。

路線の先には大阪のベッドタウンである吹田や千里ニュータウン、その間には関西大学があります。

乗客の皆さんの中に 今乗られている阪急電車の地面(路盤)が140年前のものと知っている方はどれだけいるでしょうか。日本最古級の路線が生活圏にあって うらやましいです。


soraumi5149.jpg

明治の鉄道黎明期を今に伝える貴重な遺構も、間もなく終わりを迎えます。新橋への切り替えにより 旧橋の供用が停止されると、保守管理上の観点から 後者は撤去されることでしょう。


明治一桁年由来の円形橋台だけは別の場所で保存できないかな? なんて、勝手なことを思ったり…。


ここも、見に行くなら今のうちです。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


さぬき高松ゲストハウス そらうみ
 761-8084 香川県高松市一宮町393-8
TEL or FAX(共通) : 0878998756
mail : info@sanuki-soraumi.jp
HP : http://www.sanuki-soraumi.jp
紹介PV : https://www.youtube.com/watch?v=a9uQoZ9aqPo
blog : http://sanukisoraumi.blog.fc2.com/
facebook : https://www.facebook.com/takamatsu.soraumi
Twitter : https://twitter.com/379soraumi

遍路関連の記事 : http://pilgrim-shikoku.net/author/syozan-nose

soraumi5132.jpg

関西私鉄の雄・阪急電車が走る横に立つ建造中のコンクリート支柱。ここでは橋脚がえらく高く作られているようですが、その理由やさてさて…


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


soraumi5133.jpg

下新庄駅(大阪市東淀川区)
阪急千里線、淡路駅から千里方面へ一駅。


soraumi5134.jpg

淡路方面
周辺は淡路駅を中心とする 阪急京都線・千里線連続立体交差事業によって高架工事が行われている最中。ここでは新幹線を跨ぐ高架が必要なため、かなりの高さの高架橋が必要になる様子。


soraumi5135.jpg

吹田方面
高架化が完了すると 地上線は経路変更により廃止になる。既に右側の上り線(梅田・天六方面)は新線に切り替えられている。

この地上区間は 元々省線(現JR)の手によって明治9年(1876)に開通した区間。日本で三番目の路線と言っても良い。

その後 省線の経路変更(現在の新大阪周り)により使われなくなり 残されていた路盤を民間の会社が譲り受け、改めて線路を敷設。開業させたのが 千里線の始まりとなっている。


それゆえ鉄道黎明期の遺構がたくさん残る区間ですが、そのことには触れられることなく 事が進んで入っている気がします。



「見に行くなら今です」


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


soraumi5136.jpg

下新庄駅から千里線沿いに吹田方面に歩いていくとあるのが レンガ積み橋台。


soraumi5137.jpg

整然としたイギリス積み。東海道本線で見られる一般的な構造。


ここで疑問を抱いた方!

*「この地に鉄道が敷設された明治9年にレンガ工法は伝わっていたの?」


はい、微妙なところですね。
先に伝わったフランドル積みは もしかしたら存在していたとしても、イギリス積みとなると この時期はまだ伝わっていない可能性がある。後年に造られた鉄道レンガ建造物にイギリス積みが多く見られるのは、我が国に鉄道を敷設するにあたり 最も指示を仰いだのが イギリス人技術者だったことが大きい。


それらのレンガ工法、 明治一桁年には確立されていないので、その時代に用いられた資材は 石材・木材。前者は築城技術で培われたものですね。

そもそも日本に鉄道が敷設された当初の橋は木製が多かったようです。入手可能な資材、技術で出来ることと言えば 当時の日本人の事、木造建築になります。地震大国日本、石は石で不安がつきまといます。

石積みはともかく 木組みだとしても、たちまちはそれで大丈夫。鉄道が走り始めた時代は 重量のある機関車や長大編成は存在しなかったから。

でも素材が木の事。劣化度合いは他の資材より早い。お伊勢さんなど 固定された建造物でさえ 20年に一度建て替えが行われるくらい、入念なメンテナンスを必要とするくらいですから(職人の技術継承と言う側面もあります)





そんなことしょっちゅうやってられるかー!

と立ち上がったのが 関西の鉄道技術者たち。今は木製で 何年かに一回架け替えれば良いけれど、いずれ輸送量の増大や車両の大型化(=性能up)によって、木じゃ耐えれなくなる時が必ず来る。他にもっと強固な資材は…必ずあるはず!


日本に招かれていた外国人技術者に指導を仰ぐ。レンガを使うのが良いぞ、と。


じゃあ早速煉瓦を発注しよう! ん? 次にレンガが届くとしたら 早くて来年!?


そらそうですよね。
電話や飛行機が発明されていない時代。発注伝票を持った人物が 蒸気船でその国に渡り、施主の要望を慣れない外国語で伝えて 資材と輸送船を手配して、そこからまた数ヶ月の航海…

煉瓦メーカーにしてみれば 世界がライバルじゃなかった時代(=独占企業)。日本が甘く見られていた時代。
言葉の壁から 吹っ掛けられるなど、意地悪もたくさんあったことでしょう。仕入れ交渉にことごとく失敗して、日本に帰れなくなった使者もいるんじゃないでしょうか? (調べたわけではありませんが)



そんなこんな事情を勘案したところ、来るかこんかわからんもん待てるかー! 自分らで作ってしまおう!

関西の鉄道マンたちは、煉瓦焼成工場を自前で構えてしまうのでした。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


日本で一番始めの鉄道は新橋~横濱間の明治5年ですが、そこには民衆への国威掲揚の意味合いも多分に含まれていたので、目的が実用のためではなく 実情は試作品に近い。実用的な鉄道を建設するために 自前の材料調達、日本人だけで建造を進めて行ったのは 関西の方が早かった。


大阪~神戸 明治7年
大阪~京都 明治10年


この時代に敷設された鉄道、その一部を現代でも見ることができる 京都~大阪~神戸間は、近代化遺産の山と言っても過言ではないでしょう。


soraumi5138.jpg

井戸川橋梁

イギリス積みレンガ橋台の下部に見られるアーチが特徴。


soraumi5139.jpg

舗装工事も伴って 円が半分以上が失われた欠円アーチが存在する。ここは線路と同じ方向(道路とは直角)に水路があったのではないかと推察できます。

この先の新神崎川橋梁は、省線による開業当時は 今より低い位置に橋があったようなので、ここは元々現在の道路ほどの高さは無く 水路だった可能性が考えられます。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


さぬき高松ゲストハウス そらうみ
 761-8084 香川県高松市一宮町393-8
TEL or FAX(共通) : 0878998756
mail : info@sanuki-soraumi.jp
HP : http://www.sanuki-soraumi.jp
紹介PV : https://www.youtube.com/watch?v=a9uQoZ9aqPo
blog : http://sanukisoraumi.blog.fc2.com/
facebook : https://www.facebook.com/takamatsu.soraumi
Twitter : https://twitter.com/379soraumi

遍路関連の記事 : http://pilgrim-shikoku.net/author/syozan-nose

soraumi5127.jpg

大阪の下町・淡路にあるこちらのコンクリート円形建造物。

マンションや住宅に囲まれた場所にあり、気にしていないと全く気付かず通り過ぎてしまいます。


soraumi5128.jpg

実はこちら、高射砲の砲座なんです。

高射砲とは 地上から敵の戦闘機を攻撃するための大砲の事。


soraumi5129.jpg

設置されたのは 戦火が激しくなってきた第二次世界大戦後期の昭和19年(1944)。B29の来襲に備え この場所には八八式7cm野戦高射砲台が6基、弾薬庫 指揮所などが設置された。



戦後 施設の一部は民間に払い下げられ、一部は家屋に改造され 住居として使用されるようになった。


しかしながら時代の流れと共に 1基、また1期と撤去が進められ、現在こちらで見られるのは1基のみ。


soraumi5130.jpg

壁の中央右に残る穴は 機銃掃射痕でしょうか?

現在も住居として使用されているため、立ち入ることはもちろん 写真撮影には配慮が必要です。


soraumi5131.jpg

北側を眺めると 真新しいフェンスに囲われた舗装空き地、その先にバイパス道路のようなものが確認できる。

この場所は都市計画道路・十三吹田線の新設経路にあたる。高射砲座はその経路上にあり 撤去が決定されたが、戦争の歴史を今に伝える文化財として 保護運動が起き、道路工事が中断されたままとなっている。


移設の話が浮上したこともあるが、技術的な問題があり 叶わなかった。


近隣では淡路駅を中心とした連続立体化工事、おおさか東線の開通と言った一大プロジェクトが控え、高射砲座の行く末が心配される。


相手が公共の道路だけに 高射砲座は撤去される可能性が高い。見るなら今のうちに、です。




西淡路高射砲陣地跡 場所ここ


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


さぬき高松ゲストハウス そらうみ
 761-8084 香川県高松市一宮町393-8
TEL or FAX(共通) : 0878998756
mail : info@sanuki-soraumi.jp
HP : http://www.sanuki-soraumi.jp
紹介PV : https://www.youtube.com/watch?v=a9uQoZ9aqPo
blog : http://sanukisoraumi.blog.fc2.com/
facebook : https://www.facebook.com/takamatsu.soraumi
Twitter : https://twitter.com/379soraumi

遍路関連の記事 : http://pilgrim-shikoku.net/author/syozan-nose

< 関連記事 >
2017,4/22都会のオアシス、淀川のワンド



soraumi5121.jpg

淀川下流 水辺の風景・わんど。都会のオアシスとして癒しの風景となっていますが、ここにある水たまりは 平和で終わるものだけではなさそうです。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


soraumi5122.jpg

河原のヨシ林の中にある いくつかの池。

soraumi5123.jpg

ワンドはあくまで本流と繋がっている静水域ですが、ここは外界と繋がっていない独立した池。


これは…

soraumi5124.jpg

第二次世界大戦末期にB29の爆撃によって空いた穴、そこに水が溜まった 通称 "爆弾池"


第1回大阪大空襲 … 3/13→14
第2回大阪大空襲 … 6/1
第3回大阪大空襲 … 6/7
第4回大阪大空襲 … 6/15
第5回大阪大空襲 … 6/26
第6回大阪大空襲 … 7/10
第7回大阪大空襲 … 7/24
第8回大阪大空襲 … 8/14

全て昭和20年(1945)

一般的に 民間人の家屋を狙った空襲は焼くことが目的→木造家屋を焼くための焼夷弾
爆弾の投下→破壊。基本的には軍需工場を狙ったもの。

大阪にはお城に隣接した場所に アジア一の規模と謳われた大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)があり、早くから米軍の攻撃目標とされてきたが、天候等様々な理由により 爆弾は命中せず、爆撃被害から免れていた。結果的に破壊されたのは 第8回大阪大空襲・8月14日。終戦の前日だった。


それまでに砲兵工廠を狙い外れた爆弾は 一般家屋に落ちるなど、軍需工場以外で大きな人的被害が出ていた。それらの爆弾の中には淀川の河川敷に落下したものもあり、爆発してできた窪みに戦後 水が溜まり、それらの池が爆弾池と呼ばれるようになった。


soraumi5125.jpg

菅原城北大橋の上からなど 河原の池の大きさを目にすると、一発の爆弾の威力を知ることができます。
淀川の河原に落ちたものはまだ良かったほう。爆弾には目が無いので、軍需工場や この付近では長柄橋や柴島浄水場等のインフラ破壊を目的としたものが、住宅地に落ちた例も 数多く存在することでしょう。


取材した時期が若葉の季節だったため 既に草木が繁茂していて 小さな池が覆い隠されてしまっていますが、爆弾で空いた穴→池はこの場所だけでなく 他の場所にもたくさんあるようです。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


さぬき高松ゲストハウス そらうみ
 761-8084 香川県高松市一宮町393-8
TEL or FAX(共通) : 0878998756
mail : info@sanuki-soraumi.jp
HP : http://www.sanuki-soraumi.jp
紹介PV : https://www.youtube.com/watch?v=a9uQoZ9aqPo
blog : http://sanukisoraumi.blog.fc2.com/
facebook : https://www.facebook.com/takamatsu.soraumi
Twitter : https://twitter.com/379soraumi

遍路関連の記事 : http://pilgrim-shikoku.net/author/syozan-nose

soraumi5117.jpg

菅原城北大橋(すがわらしろきたおおはし / 大阪市東淀川区・旭区)
橋の名称は それぞれの渡り口に由来。菅原は菅原道真に由来。都を追われた菅原道真が 淀川を下り、島を発見。そこを淡路島と思いこんだことから、東淀川区には淡路の名称がある(実際は 淀川と神崎川に分けられた中州)


上流の豊里大橋(大阪市東淀川区~旭区)
下流の長柄橋(大阪市東淀川区~北区)

の混雑が酷かったことから、渋滞緩和を目的として建設された。平成元年(1989)竣工。
下流にあった鉄道歩道併用橋の赤川仮橋(淀川橋梁)の供用停止に伴い、平成25年(2013)に連絡スロープが取り付けられた。

< 関連記事 >
2017,4/20歩いて渡れた鉄道橋。かつて市民に親しまれた赤川鉄橋vol.1
2017,4/21歩いて渡れた鉄道橋。かつて市民に親しまれた赤川鉄橋vol.2



soraumi5118.jpg

こちらは旭区城北側。

"わんど" と呼ばれる静水池が広がります。


淀川独自の物で、明治の河川改修の際に本流から切り離された部分に土砂が堆積、水草が繁茂し ワンドと呼ばれる水域が誕生した。

流れが緩やかなことから 小型魚類の絶好の生息場所となり、本流とは異なる独自の生態系が構成される。淀川水系独自のイタセンパラやアユモドキなど、環境の変化によって 流域他の場所では見られなくなった魚も わんどでは見ることができる。


soraumi5119.jpg

ワンドは都会のオアシスでもある。

年配の方々はヘラブナを、若い世代はブラックバスを。近年は後者の生息範囲拡大から 希少種の生息域が脅かされるなど影響が出ているようです。


soraumi5120.jpg

都会の水辺として貴重な空間である 淀川のわんど。淀川下流を代表する 水辺の風景となっています。




城北公園 場所ここ



つづく


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


さぬき高松ゲストハウス そらうみ
 761-8084 香川県高松市一宮町393-8
TEL or FAX(共通) : 0878998756
mail : info@sanuki-soraumi.jp
HP : http://www.sanuki-soraumi.jp
紹介PV : https://www.youtube.com/watch?v=a9uQoZ9aqPo
blog : http://sanukisoraumi.blog.fc2.com/
facebook : https://www.facebook.com/takamatsu.soraumi
Twitter : https://twitter.com/379soraumi

遍路関連の記事 : http://pilgrim-shikoku.net/author/syozan-nose

< 関連記事 >
2017,4/21歩いて渡れた鉄道橋。かつて市民に親しまれた赤川鉄橋vol.1



soraumi5112.jpg

かつては歩いて渡ることができた淀川橋梁こと "赤川鉄橋"
併用橋として 市民が歩いて渡ることができたことから 親しみを込めてその名で呼ばれてきたが、渡ることができなくなった今 その呼称は徐々に消えゆくものと思われます。


橋の下に降りて近づいてみました。


soraumi5113.jpg

ズドーンと真ん中が空いた橋脚たち。

琵琶湖由来の豊富な水量を誇る淀川、その対策でしょうか? それとも資材節約??


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


この橋にも 第二次世界大戦時に空襲があり、機銃掃射痕が残っているそうです。


soraumi5114.jpg

これかな?
右岸(東淀川)の一本しか近付いて見ることができないので よくわかりません…


第1回大阪大空襲 … 3/13→14
第2回大阪大空襲 … 6/1
第3回大阪大空襲 … 6/7
第4回大阪大空襲 … 6/15
第5回大阪大空襲 … 6/26
第6回大阪大空襲 … 7/10
第7回大阪大空襲 … 7/24
第8回大阪大空襲 … 8/14

全て昭和20年(1945)


第一回大阪大空襲で市内主要部の多くが被災していた大阪市。
赤川鉄橋から少し下流の天神橋(現大阪市北区)付近は この時点で攻撃を受けており、市街地を始め 家屋や防空壕が破壊されるなど、市民が安心して避難できる場所は 既に無かった。

第三回大阪大空襲の際、市民らが逃げ込んだ先が比較的大きかった長柄橋。逃げ場を失っていた約600人が 長柄橋の下に集結していた。
この攻撃に飛来した米軍機は409機。木造家屋の焼失を狙った焼夷弾は 一発投下されると空中で38個の小型焼夷弾に分解され、地上に落ちてくる。B29の焼夷弾搭載量は20発程度なので、 一機あたり760発の小型焼夷弾が地上に降り注ぐことになる。


それがおよそ400機。

単純計算30万発もの小型焼夷弾が 二時間で投下されたことになります。409機もの戦闘機の襲来、空を覆い隠すほどの焼夷弾が次から次へと降り注ぐ恐怖は、計り知れません。


長柄橋の下に避難してホッとしたのも束の間、そこへ硫黄島からP51ムスタングが飛来。この頃になると硫黄島が米軍の手に落ちていたため、日本本土を攻撃することができるのは 空母から発進する小型艦載機のグラマンだけではなかったのです。より高性能・戦闘力の高いムスタング機も 日本の大都市へ行って帰るだけの航続可能距離に入っていた。

ムスタングは長柄橋下に避難していた市民たちに向けて 容赦なく機銃掃射を浴びせた。橋は落橋、約600人いた市民たちは ほぼ全滅だったそうです。


その惨劇を見て 一つ上流に架かる赤川鉄橋には大阪市内から吹田方面に逃げようとしていた市民で溢れかえっていた。 起点となる都島側の堤防には 渡橋を待つ人々で大混雑。
しかし その人の列、命からがら橋を渡る人たちへも ムスタングの機銃掃射があったそうです。その時の機銃掃射の痕がこの橋には残されているのです。


soraumi5115.jpg

現在、赤川鉄橋の一つ上流に菅原城北大橋が架かります。こちらの竣工は平成元年(1989)なので、戦時中は存在しません。


長柄橋や十三大橋が罹災し、菅原城北大橋が無い戦争末期。大きく損壊することのなかった赤川鉄橋は、対岸へ渡るための唯一の橋であったことでしょう。

< 関連記事 >
2017,4/18狙われた橋の下、長柄橋空襲





赤川仮橋(淀川橋梁) 場所ここ


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


さぬき高松ゲストハウス そらうみ
 761-8084 香川県高松市一宮町393-8
TEL or FAX(共通) : 0878998756
mail : info@sanuki-soraumi.jp
HP : http://www.sanuki-soraumi.jp
紹介PV : https://www.youtube.com/watch?v=a9uQoZ9aqPo
blog : http://sanukisoraumi.blog.fc2.com/
facebook : https://www.facebook.com/takamatsu.soraumi
Twitter : https://twitter.com/379soraumi

遍路関連の記事 : http://pilgrim-shikoku.net/author/syozan-nose



最新記事