fc2ブログ


soraumi5140.jpg

淀川の支流・神崎川に架かる 阪急千里線新神崎川橋りょう

奥に見える新しい橋は 淡路駅を中心とする阪急京都線・千里線連続立体化工事の産物。現在は新線を上り(淡路・梅田方面)列車のみが走っていますが、工事が完了すると 上り下り両線共 新しい橋を列車が走るようになります。


遡る事 明治9年(1876)に起源を持ち、大正10年(1921)に竣工した手前の橋が役目を終える日はそう遠くありません。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


soraumi5141.jpg

現在の新神崎川橋りょう。よく眺めてみると 橋脚のデザインがバラバラであることがわかります。

二基は石積みの円形。これは相当古そうです。


まずは、左岸(東淀川側)から探索。

soraumi5142.jpg

上部の線路、元々の上り線が撤去されていることが まずわかりますが、それはさておき 一つ目の橋脚がレンガ造り。


soraumi5143.jpg

精巧なイギリス積み。所々の破損は止む無しとして 落書きが残念!


soraumi5144.jpg

根元の橋台もイギリス積みの強固な造り。


が、これらは古いことは古いけれど 明治9年の大阪~向日町間の官営鉄道が開通したタイミングのものでは無いのでは? と考えます。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


soraumi5145.jpg

川の真ん中辺りに位置する 円形の橋脚。
他の橋桁と高さを合わすために更に土台が乗せられていて、それぞれ

左岸側… 鉄板巻き
右岸側… コンクリート造り


ここでは斜めに曲がった架線柱も見所。北大阪鉄道(現阪急)開業の大正10年(1921)のものです。



計4脚 円形橋台が現存している中で、

soraumi5147.jpg

右岸側の2脚は、

下部→イギリス積みレンガ / 上部→石積み二層
上流下流対称的なデザイン


しかしながら、

soraumi5146.jpg

左岸側の2脚は、

下流… 下部→イギリス積みレンガ / 上部→石積み二層 →右岸の2脚と同じ
上流… 下部→イギリス積みレンガ / 上部→石積み五層

非対称的な造りとなっている。


これはどういうことでしょうか。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


古く見えるこちらの橋。

この区間が 省線(現JR)のルート変更を契機に 北大阪鉄道(現阪急)に払い下げられた路線であることは前述の通りですが、橋りょうに関しては 明治9年の東海道線開業時のものではない。
元々架けられていた橋はトラス橋で 大正2年(1913)の経路変更後に鋼材が取り外され、山陽電鉄の舞子跨線橋に転用された(現在は撤去)

当時の橋は 円形の橋脚の高さに架かっていたようです。今よりだいぶ低い位置ですね。


その後 北大阪鉄道(現阪急)が元東海道線のルートを譲り受けて千里線を敷設する際、防災の観点から 橋を当時より高い位置に架ける必要が出てきた。
動力船の時代になり 川には頻繁に船が行き来、大型船の往来を可能とするため浚渫工事が行われ 水深だけでなく川幅が広くなり、安定した水量を保持できるようになった。護岸工事も行われた。


北大阪鉄道(現阪急)によって新しく橋が掛けられることになった時代には レンガ工法が確立されていたので、写真に見られるように いくつかの橋脚はイギリス積みレンガで組まれた。

その中で残存していた2セットの石積み橋脚については まだ使用可能と判断され、元からあった石積み橋脚を笠石にして 下部にレンガを積んで他の橋脚と高さを合わせた。



ここまではおおよそこの通りだと思うのですが、一つだけレンガ・石積みの割合が異なる橋脚があるのは何故でしょう。


これが自分もよくわかっていないのですが、基本的な資材の変遷は


石 → レンガ → コンクリート

なので、煉瓦橋脚は後年の譲渡の際(大正10年)に築かれたものだと思うのです。


流れを受ける上流側を強固にするために 石積みが多く残された?


それにしては右岸の2脚はそんなことないし。


すいません、その辺り史料が乏しく 自身としても勉強不足です。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


soraumi5148.jpg

眺めていると 阪急電車が駆け抜けて行きました。

路線の先には大阪のベッドタウンである吹田や千里ニュータウン、その間には関西大学があります。

乗客の皆さんの中に 今乗られている阪急電車の地面(路盤)が140年前のものと知っている方はどれだけいるでしょうか。日本最古級の路線が生活圏にあって うらやましいです。


soraumi5149.jpg

明治の鉄道黎明期を今に伝える貴重な遺構も、間もなく終わりを迎えます。新橋への切り替えにより 旧橋の供用が停止されると、保守管理上の観点から 後者は撤去されることでしょう。


明治一桁年由来の円形橋台だけは別の場所で保存できないかな? なんて、勝手なことを思ったり…。


ここも、見に行くなら今のうちです。


*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。・o*゜


さぬき高松ゲストハウス そらうみ
 761-8084 香川県高松市一宮町393-8
TEL or FAX(共通) : 0878998756
mail : info@sanuki-soraumi.jp
HP : http://www.sanuki-soraumi.jp
紹介PV : https://www.youtube.com/watch?v=a9uQoZ9aqPo
blog : http://sanukisoraumi.blog.fc2.com/
facebook : https://www.facebook.com/takamatsu.soraumi
Twitter : https://twitter.com/379soraumi

遍路関連の記事 : http://pilgrim-shikoku.net/author/syozan-nose
スポンサーサイト



スポンサードリンク

ここに広告のコードを入れる


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks

    もうすぐ撤去?大正時代以前の東海道本線の痕跡が残る、阪急千里線・新神崎川橋梁 ( 22:53 )

    阪急電鉄京都線・千里線(淡路駅付近)連続立体交差事業により、撤去が進む阪急千里線の新神崎川橋梁を見て



    最新記事